Handprinted Books
1985 – 2008
Romano Hänni
Exhibition and Sale
2008. 8.12 to 24:
at limArt, Tokyo
Co-Organized with limArt
2008.10. 21 to 11.7:
at Embassy of Switzerland, Tokyo
2009. 5. 20 to 6.10:
at University of Art and Design, Kyoto
活版印刷による本
1985 – 2008
ロマノ・ヘニ
展示と販売
2008年8月12日より24日
於 リムアート(東京)
共催:リムアート
2008年10月21日より11月7日
於 スイス大使館(東京)
販売協力:リムアート
2009年5月20日より6月10日
於 京都造形芸術大学(京都)
1
活版印刷によって書籍を制作するには、
ある〈民主的な体系〉を形づくる必要がある。
つまり、内容・形態・素材・色彩・文字と記号が、
一つの全体として調和するようにすることだ。
2
小宇宙としての植字室は、全ての人々が調和の中で一緒に
生活する、そんな〈国〉に例えることができるだろう。
そこでは個人の能力や 特性に敬意が払われ、価値あるものとされる。
同じように、全ての文字は自身の居場所を活字ケースの
中にもっている。こういった視点から見ると、活版印刷工房とは、
それ自体で自律した存在であるといえるだろう。
3
活版印刷の植字室を成り立たせる哲学から連想するのは、
その本質から言っても人文主義の確立を目指すトーマス・モアが
1515年に描きだしたような〈ユートピア〉である。
そして活版印刷の起源もそこからさほど遠くない。
さかのぼること約70年程前の1440年頃、マインツ出身の
ヨハネス・グーテンベルグが鉛の可動活字(ムーバブルタイプ)を使用した
書籍印刷術を発明している。
4
植字室は完全なるリサイクルシステムで成りたっている。
印刷が終わった後、活字が大きく摩滅していなければ、活字ケースの
きまった場所にもどされ、新たな作品が組まれるのを待っている。
5
私が植字工として、この〈活字の世界〉に入るのは限られた
時間だけである。慎重な検討を重ねて、例えば一冊の活版印刷の本を
創りあげる。 敬意をもって活字を扱ってこそ、いきいきとした
生命が与えられる。しかし活字に、その〈意志〉に逆らうようなことを
強制しようとすると失敗する。ピクセルによって切り刻まれ、
生気を失ったデジタル文字に比して、鉛活字はそれほど〈協力的〉
ではない。この点で鉛活字は無慈悲である。つまり、印刷される
ことは許してくれるけれども、ページの上でその存在感を
発揮することを拒否するのである。
6
私が日刊新聞をデザインする時には、鉛活字に対して
感じている敬意を、その後継者たるピクセル文字へと振り向けようと
試みる。デジタル化されたミクロ・タイポグラフィによって
最適な可読性の追求が新たに可能になった。
手動活版により印刷された書籍に対する愛書家的な情熱を、
日刊新聞のタイポグラフィへと振り向けることは大きな挑戦である。
その挑戦を受入れ実現することには、確かに限度がある。しかし、
完全に向かって繰り返し努力を続けることは、タイポグラファの
決して終わることのない使命である。
ロマノ・ヘニ